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2000-03-11 (Sat)
みなさんに公開することを目的としない自身の記録です

3/11午後3時頃(金曜日)
今までに経験をしたことがない大きな揺れが私の地域を襲いました
徐々に大きくなる揺れに、当初冷静だった回りの人達も口々に
「これはヤバイ!ヤバイ!!逃げろ」とその揺れの異常さにパニックへ・・・
後で知った地震の震度は「6強」ということでした


数分間続いた揺れは、その後も余震を伴いながら収束傾向へ。。。
ほとんどの本棚は倒れ、散乱する資料と書籍、実験器具やPCは
ほとんど倒れた状態、窓も一部割れた所もありました
幸運にも周りの人にケガは一切無し

ここで全ての人の気持ちはたぶん同じだったと思います
「家族は?家は大丈夫??」
その時点では全てのライフラインがストップ、通信も全くできない状況
回復する様子も無い事から、各自一時帰宅へ・・・

帰宅中に見た光景は
民家の塀の1/3は倒壊、屋根や壁が崩れ落ちる家もあり。全壊した建物こそ
見ませんでしたが、小規模な橋は崩れ落ちるか、異様な捻れで変形し通行止め、
倒れた塀や電柱が道路をふさぐ、また信号機の停止により交通は完全にマヒ状態

通常30分程度の道のりを1時間以上かけて帰宅
自宅はさほどのダメージもなく、家具が散乱してる程度です
両親も無事でしたので、この時は「明日から忙しくなっちゃうね」くらいの考えで、
かなり楽観的に明日はきっと通常に戻るはずと思い込んでいました
午後8:00頃
一向に回復する気配の無いライフラインと通信網
「今日は仕方ないよね」と卓上コンロで、冷蔵庫のものが
腐らないように処分するつもりで、懐中電灯の下、夕食すませ
布団や毛布をいっぱいかぶって就寝

3/12朝9時頃(土曜日)
津波の被害や原発の問題が出ていることを近所の方から聞く
ユーティリィティも回復に時間が掛かるかもしれないとのこと
明るいうちに片付けをしないといけないので、ご近所で協力して
清掃、片づけをする
まだこの頃は「生徒さん大丈夫かな?教室の計画は??ブログ
どうしよう、月曜日までには全部回復するよね」くらいの感覚でした

夕方
学校は18日まで休校、それまでは復旧に努める旨の通知。。。
夕方に買い物に、店内のほとんどは仕切られて真っ暗の中でお買い物、
お菓子、乾物、漬物類と少しの野菜類以外は空っぽの陳列棚、、、
少し不安になるけど一過性のものだろうと自分自身に言い聞かせた


ほとんどの家庭がファンヒーターやエアコンを使用してるため
暖房器具が一切使えない、こういう時のためにストーブがあれば
よかったと話す人が多い、東北ほどではないけど、朝晩はやっぱり
寒い・・・依然ライフラインは止まったまま

3/13朝(日曜日)
学校から電気が回復したとの連絡、顔を洗って歯を磨くだけで、
急いで学校へ!駅周辺のみ電気が回復してました
これなら日曜日中に全回復もあるかも・・・
清掃や片付け後、学校で不謹慎にもブログを見る余裕あり。。。。
各連絡事項を確認して家へ戻ったけど
やはりまだ全てストップ中、ちょっとイライラし始める


地域全体の食料や水などの不足が深刻になってきた
給水車の手配も遅れてるし、そろそろ個人や家庭での対応が
難しい状態へ。。。公民館が避難場所に設定され、一部の人は
避難生活に入る

この頃は東北での被害や原発の問題が大きく伝わっていたので
私達も我慢しなきゃ!と決意を新たに!

3/14午前中(月曜日)
依然ライフラインはストップ、近隣の方の携帯電話と充電器を山のように
預かり学校へ!唯一電源が生きてる所で数時間充電を受け持つ

充電を待っている間に情報の収集と少しだけツゥイート
被害の情報ばかりで、物流やラインの回復が一向に見えないので
私達は、かなり焦ってる状態でした

夕方
市内から物が消える、食料・水、ガソリンも灯油も電池も携帯ボンベも
地震の被害はたいしたこともないと、ライフラインが正常化すればと
タカをくくってた私達は一転サバイバル状態へ突入することに・・・

地域でそれぞれが持ち寄る食料や水、灯油を持ち寄り非難生活へ
この段階では個人で対処できる限界を越えてしまった家庭がほとんどでした

どうなってるの??なんで??
見た目は普通の街があたかもゴーストタウンのように。。。

3/15(火曜日)
3/11~13までに車のヒーターやTVで暖を取ったり、情報を仕入れてた人が
ガソリン不足で身動きがとれなくなった、仮に動けたとしても
全点閉店中で、給油は無理な状態、灯油も今残っているだけ

一部の小学校で給水が開始されて最低限の水は確保できた
小さな子供達の顔と身体を丁寧に拭いてあげる

地域のお母さん達は材料を寄せ合い、炊き出し!被災というよりはまだ
キャンプの感覚に近く、真の被災地に比べればまだ恵まれている
東北の方を思えは、今は我慢、我慢

3/16(水曜日)
男の方がトラックで他県へ買出しに
50kmほど離れると物不足以外はほとんど通常とのこと
食料はなんとか手に入ったけど、灯油やガソリン、電池、墨等は無理でした

発電機を溶接業の方が持ち込んでくれたけど、ガソリンが無くて
すぐに使えなくなった、プロパンガスが手配され炊事やお湯が少し自由に
使えるようになった、これだけでもとても嬉しいこと

震度4~5の余震が散発する、怯える子供は、この頃ほとんどいなくなった
慣れたの?それとも強くなったの??。。。

お母さん達の要望で午前中と午後の2回、子供達に勉強を教える
ちょっとした寺子屋?みたいな感じ、日差しが暖かったのを覚えている

3/17~18(木・金曜日)
私達の地区は被災地区に認定されているらしいけど
救援物資はすべてここを通り越して東北へ行ってるらしい
これはしょうがないことだとみんな思ってるから大丈夫
ただ・・・
私達も懸命に頑張っているけど、東北でも物資が届かなくて困っているらしい
また被害の無い地区でも買占めや売り惜しみが発生して関東地区でも
慢性的な物不足とのこと・・・・やはり口々に不満が出てしまいます

「国は行政は、なにしてるの?」
「被害の無い地区の人はなんで混乱を助長させるの?」

この地区で家族や知人を無くした人は誰もいない
家や土地を失った人も誰もいない
寒くても雪も降らないし、日中は過ごしやすい
物や状態が整えば、災害地区に近い私達の方が動けるし救援はいつでも可能
そうしたいとみんな思っている

でも歯車が狂ってうまく回っていない感じがすごい
ただ振り回されてる・・・なにもできない無力感が常にあるのです



半数の人が実家や親戚の家へ移動を決める、連休明けまで様子見るとのこと

一週間お風呂に入っていない、入りたいってわがままはいつも思う
そういえばブログどころじゃないけど、みんな心配してるかなぁ?

人が減った公民館はとても寒い、気温も真冬並みで、ちょっとだけ辛い
動きたいけど、ガソリンが無くて動けないのが一番のジレンマ
自治会レベルでの対処では限界があったと痛感する地区の人々

3/19(土曜日)水道とガスが順次復旧
駅周辺の方は電気も通ってたので、ほぼ正常な状態へ
ただ電車はずっと止まったままで復旧の見通しは依然なし
あとは電気だけ、「お願いします」と祈るように。。。


3/20(日曜日
朝7:00一斉に電気が回復!!!!!!
公民館の電気がついた瞬間、歓声が上がった
再度切られる可能性がある為、避難機能はそのままに、それぞれ
身支度だけで徒歩で自宅へ戻る

落ち着いたら、春休みにみんなで被災地に物を届けようね!と
子供達と約束して別れた、久しぶりの笑顔がこぼれる

お風呂、洗濯 いい天気。。久しぶりに自宅でのんびりする
テレビの、無残な沿岸被災地区の様子と悲しいお話に涙が止まらない
私は幸せな方だったようです


21日からは再生の準備です、わがままは言ってられないですよね☆
(記録現在3/20日曜日18:18)


とりあえず忘れないように簡単に書き留めておきます
被災地の方や頑張って処理に全力を尽くしてくれていた方々、
心配して頂いてた皆様には不快な表現や自分勝手な思いもそのまま
書いています、余裕ができたら、書き直すかもしれませんし、
あるいは記事ごと削除するかもしれません

小さな子供にチョコレートを分けてあげた時の悲しそうな笑顔。。。
そんな体験を初めてしたChakoでした

--------続くかもしれませんm(_ _)m------------

(記録現在 3/22 14:30)
昨日のNHKストリーミング放送で東京消防庁の原発放水を担当された方が
テレビに出て、作業の詳細を説明してくれていました

危険を顧みず、国や人々の安全の為に頑張ってくれている自衛隊、消防隊員、
東電関連の技術者、警察官の方々には、頑張って!!って言うくらいしか
できないのだけど、本当に頭が下がる思いですm(_ _)m

昨日説明をして頂いた消防隊員の方は最後には涙ぐむような場面もあり
その作業の重責や命の危険との戦いが十分伝わってきました・・・

その他、記者会見でも消防庁幹部現場責任者の方の咽るような場面を見ました

危険かつ国家の運命を担う作業です
楽観はできない状況といえど、まずは成功ですよね
胸を張ってその実績をご報告できるような屈強な隊員の方ですよね。。。

放射線被爆レベルを管理した作業と常に言っておられましたが

もしかしたら・・・・

将来的にかなりの影響があるレベルの被爆を承知で作業を・・・・
自身の命と未来を削って作業をしたのでは????と
故にどうしても押さえられない感情や涙が溢れ出したのではないかと。。。

考え過ぎならいいのですが

少しだけ不安になると同時に、国の為に命を賭ける隊員の方たちに
何度も何度も感謝と尊敬の念を抱かずにはいられませんでした
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